著書:祭祀のウソ・ホント

  神様から与えられた力により霊能者として仕事をするようになって、約二十五年余が経ちました。この間、数えきれないほどの神や霊の声を聞き、救い上げをするために文字通り東奔西走(とうほんせいそう)する生活を送ってきました。平凡な主婦だった時代には考えられないような経験もたくさんしました。

 求められれば、沖縄各地はもちろんのこと、国内の各都道府県、さらには海外に足を伸ばすことさえあります。多い時にはひと月の半分ぐらいが旅暮(たびぐ)らしといった調子です。

 そんな日々の中、島から外の世界に出るたびに、沖縄の自然と文化の素晴らしさ、そして歴史の深さを痛感します。世界を見渡(みわた)しても、これほど魅力的な土地はそうはないでしょう。

 しかし、そうした思いを重ねれば重ねるほど、残念に感じることもたくさん出てきました。肝心のウチナーンチュが、自分たちの歴史や文化について無頓着過(むとんちゃくす)ぎるのです。一般の人はもちろん、村長など人々のリーダーとなるべき地位にいる人ですら、「僕は沖縄の歴史や文化なんか知らない」と公言してはばからない。そんな無教養な人が村の人々の生活を豊かにし、地域を正しく発展させることができるはずもない。よくも選挙に出る気になれるものだと私は思うのですが、残念ながらこれが沖縄の現状です。

 そこで、私は『ほんとうの琉球の歴史 神人(かみんちゅ)が聞いた真実の声』(角川フォレスタ刊)と『尚円王妃 宇喜也嘉(おぎやか)の謎ほんとうの琉球の歴史(ボーダーインク刊)を執筆し、私が直接神や霊から聞いた沖縄の歴史―言い換えれば、後世の人間の都合に左右されない歴史の真実を皆さんに知っていただこうとしました。

 たとえば、謀反人(むほんにん)とされる勝連按司阿麻和利(かつれんあじあまわり)の本当の生き様。彼は決して暴虐非道(ぼうぎゃくひどう)な人間ではなく、妻の百十踏揚(ももとふみあがり)とも鴛鴦(えんおう)の契(ちぎ)りを結んだ相思相愛(そうしそうあい)の間柄でしたし、伝承とは異なり百十踏揚殺害の犯人は鬼大城(うにうふぐすく)でした。

 また、第二尚氏の尚円王から尚真王(しょうしんおう)に代替わりする際に、妃(きさき)である宇喜也嘉による血なまぐさい陰謀(いんぼう)があったことは、歴史から抹殺(まっさつ)されています。

 しかし当事者である霊たちは、本当は何があったのかを私に教えてくれ、私はその言葉の通りに歴史を見つめなおして、本にまとめました。

 おかげさまでこの二冊は大変な反響を呼び、出版してからというもの、「初めて本当の歴史を知った」「今までは無関心だったが、これからはもっとしっかり学んでいきたい」など多くの好意的な声を耳にすることができました。

 また、各地で講演会などに呼ばれることも増え、拙(つたな)いながらも私の知るところを直接お話する機会をしばしば持つことができました。

 みなさん、これほどまでに「真実」を求めている。

 多くの方とお話すればするほど、本を出して良かったとしみじみ思ったものでしたが、同時に「私にはまだ使命がある」との決心を新たにすることとなりました。

 沖縄の「拝(おが)み」の間違いを正さなければならない。

 こうした思いが、ふつふつと湧(わ)いてきたのです。

 実は、先述した二冊の本以外に、もう一冊、本を出しています。

『ニライカナイの風 生魂(マブイ)のスピリチュアルメッセージ』(角川学芸出版刊)という本です。

 ただし、この本は本名の渡久地十美子ではなく、上間司というペンネームで出しています。ペンネームを使ったのは、神人としてマブイや死霊、神などについての正しい知識と対処法を広めなければならないという気持ちから出版を決心したものの、本名を出すことで、約束なしにいきなり訪問してくる人が増えたり、勝手に私の名前を使ったりする人が出てくることを恐れたからです。

 しかし、結局、歴史の本は本名で出しました。通説を覆(くつがえ)す真実を語るからには、堂々と本名を名乗った方がいいと判断したからでした。

 案の定、懸念(けねん)していた事態が起こりましたし、それまで以上に忙しくなる羽目にも陥(おちい)りましたが、それでもプラスの方向に働いたことのほうが多かったように思います。

 ですが、アドバイスや助けを求めてくる方にお断りをしなければならない状況が長らく続いており、歯痒(はがゆ)い思いは増すばかり。

 こうした経緯もあり、今回はただ単に霊の世界や拝みとはどういうものかを知ってもらうだけではなく、「沖縄の拝みごとはここが間違っている」と示すことに力点を置くことにしました。

 通らない拝みのせいで起こる、余計な悲しみや苦しみを少しでも減らしたい。

 一冊目を書いた動機は、まさにこれでした。そして今でもずっとそう願い続けています。ですので、一冊目よりももう少し内容の幅を広げて、法事や神事などについても触(ふ)れました。

 よって、本書と『ニライカナイの風』を合わせて読んでいただくと、拝みに関することはだいたいわかると思います。

 読者のみなさんに、正しい拝みのあり方を知ってもらい、霊の世界のみならず、人の世界での悲しいトラブルを防(ふせ)いでいただければ幸いです。