著書:ニライカナイ

 マブヤー、もしくはマブイという言葉を聞いたことはあるでしょうか?

 もし、今この本を手に取ってくださったあなたがウチナーンチュ(沖縄人)であるならばよくご存じのことでしょう。ですが、それ以外の方には耳慣れない言葉だと思います。

 沖縄では、昔から人は七つの生魂(マブイ)を持って生まれてくると言い伝えられてきました。その生魂が「マブヤー」です。人は、七つのマブヤーがきちんと心臓におさまってさえいれば、心も体も健やかな状態で過ごせます。

 ところが、困ったことにマブヤーはとても不安定で、突然の事故やなにかでびっくりしたり、気が動転したりすると簡単に抜け落ちてしまうのです。

 そして、マブヤーを落としてしまうと、必ず心身に悪い影響が出てきます。原因不明の体調不良や病気、精神的な疾患に悩まされている人は、たいていの場合、マブヤーを落としてしまっています。

 昔のウチナーンチュは、マブヤーの大切さをよく理解していました。そのため、心臓がドキドキするほどのショックを受けると、必ずマブイ込(グ)みをしたものでした。

 しかし、残念なことに今ではその習慣が廃(すた)れ、それどころか「マブヤーなど迷信だ」と一笑に付す人も増えてしまいました。沖縄でさえそうなのですから、もともと「マブヤー」という観念の薄い内地(沖縄から見た時、沖縄以外の日本国土を指す言葉)の人たちはなおさらのことでしょう。そもそもマブイ込みの方法さえ知らない人が百パーセントに近いことと思います。

 私は、神人(カミンチュ)(神に仕える霊能者のこと)として活動し始めて以来、マブイ込みの大切さを知らないばかりに、しょいこまないでよい不幸を抱えてしまった人たちに数多く出会いました。そのたびに、真実を伝えることの重要性を痛感してきたのです。

 また、みなさんにお伝えしなければいけないのはマブヤーのことだけではありません。

 神や霊(先祖霊や地縛霊)、そして人の念や口災(クチワザワ)いなどが原因となって、様々な心身的症状や不幸な出来事が発生するということも知っていただかなければいけないと考えています。

 こうした、霊的なことが原因で起こるいろいろな症状を、私は「霊症」と呼んでいます。

霊症が起こると、日常生活に様々な困難が発生し、適切に対処していかないと大変な目に遭ってしまいます。

 では、本書は「霊症を避けるためになんらかの宗教に入りなさい」とか、「なんでもいいから霊能者に祈願をしてもらいなさい」と勧めることが目的かというと、そうではありません。むしろ逆です。無駄な拝みや宗教にお金を使うことはやめなさい、と言いたいのです。

 沖縄は、昔から拝みをする(ユタなどが祈願をする)ことが盛んな地です。大きな病気をしたり、予期せぬ不幸に見舞われたりした場合、すぐユタに相談し、原因を祓(はら)ってもらおうとします。実は私自身、神人として働き出すまでは多くのユタに助けを求め、拝みを繰り返していました。ですが、拝みが通ったことは一度としてありませんでした。その間、ユタに言われるまま多額の謝礼を払い続け、とうとう大きな借金を背負うまでになってしまいました。

 今思えば、これは私が神からの信号を無視して、自らが神人たることを頑(かたく)なに拒否し続けた結果起こった制裁のようなものでした。その詳細は後ほど詳しくお話しするとして、人によっては家を一軒二軒建てられるほどのお金をユタにつぎ込むことも珍しくありません。

 内地ではお金をつぎ込む対象が新興宗教だったり霊媒師だったりするだけで、同じようなことは日本、いや世界各地どこでも起きています。

 幸せになろうとした行為で借金を抱え、不幸になってしまう……。こんな馬鹿なことがあるでしょうか。

 一つだけ、はっきり言えることがあります。

 いくらお金をつぎ込んでも全く事態がよくならないのであれば、その霊能者なり宗教なりが本物なのかどうか、今一度冷静になって考えたほうがよいということです。

「生活が苦しいのは、あなたの信心が足りないからだ」

「願いを叶(かな)えたければ、もっと奉仕活動に精を出し、信者を獲得してきなさい」

「喜捨の額を増やせば、あなたはもっと幸せになれる」

 そんなことをいう人間や組織は、間違いなくインチキです。インチキにお金を払うぐらいなら、なにもしないほうがまし。本当に力のある人であれば、必ず一度の祈願で結果を出します。

 人が抱えている悩みや苦しみを「木」にたとえてみましょう。

 力のない霊媒師だと、木を根っこから抜くことができません。手探りの拝みで、葉っぱだけ、または枝だけ摘み取って終わりにしてしまいます。

 ですが、葉っぱや枝はまたすぐに生えてきます。先端だけを繰り返し刈り取っても、一時的な気休めにしかなりません。地中にある根っこ、つまり根本的な原因を取り除かなくては、問題は永久に解決するはずがありません。根を引き抜くことができない拝みは、完璧な拝みとは言えないのです。

 私は、神人として、どんな拝みをする時にも全パワーを注ぎ込み、問題の原因を根っこから解決してきました。拝みをする時には、神・霊・生魂が縛られている場所を探しだして、ポイントをつかみ、その場所で拝みを行います。一時しのぎのお祓いや無駄な拝所(ウガンジュ)廻りは一切しません。

 本書では、私が実際に解決した事例を紹介しながら、マブヤーやヌジファ(神や霊の魂の救い上げ)の大切さと、霊症に振り回されて通らない拝みを繰り返すことの無意味さをお話ししていこうと思います。

 叶うことでしたら、この本が、みなさんが少しでもよりよい人生を送れるようになるきっかけとなりますように。

 

                            二〇一〇年(平成二十二年)三月 上間 司